中村屋のどらやき。
ホクホクしっとり。
(↑を思い出しながら)
(前の投稿つづきを)
逮捕や収容という事態を前に。
例えて安心を得ることの困難な状況の中。
そうした精神的不安が募る状況は、人から判断力を奪うだろうし。
混乱と疲労の中では、穏和な印象の態度で接する者が誘導したものに従う心理が生まれるだろうし。
理解が及ばない事柄でも、そのときの感覚で判断をすることはあるだろうし。
厳しく問われる機会がなければ、多かれ少なかれ人はそうしたその時々の判断で選択をし、生活しているのではないだろうかと思った。
(ちと話し逸れるかもだけど)
著名人の発言に影響を受けて、見ず知らずの者を批判することなども、他者に判断を委ねたものだろうし。
混乱の中で発した言葉を、後から決定打のように振りかざれ、不本意な意思を他人に事実のように断言されたらどう感じるだろうか。
署名したのだから、自分で決めたのだから、選んだのだから…
不安な心理状態が招く相反する言葉を認めず。
他者の苦しみは疑い、欲があると仮定し、仮病や詐病だと決めようとする…
その意思を尊重したときに、生まれるプラスの可能性を、重んじずに。
この社会は、なぜこんなに否定的なんだろう。
あ、それから、今日の裁判を傍聴していて。
これまでに、説明されてきた他の方々の事例に関する説明の、”帰国の意思があったがそれを覆した”という内容が、疑わしく思えてしまった。
もちろん、その意思があった方もいるだろう。
でもその中に、説明不足の状況の中、選択肢を知らずに又は他の選択を得る機会を持たずに、帰国へと促された方々も多数いたのではないかと思ってしまった。
(報道もされている一斉退去の事例がそうですね)
なんか、漠然とした日記ですみません。
やろうとしている作業の途中なもので。(言い訳)
うまく纏まらず。
支援者の方などから何か発信があったら、気に留めるようにします。
いつも聴くだけですみません。
他者を尊重することを忘れた社会で、在留資格を求めること、それについて考えることは、一つの手掛かりだと思っています。
健康に生きましょう。
また。