緑茶、ほっこりしますね…
(書いてから載せるまでタイムラグあってごめんなさい)
仄明るい曇天に風が吹き荒れていますね。
(こないだの昼の話)
昔も、こういう空に鯉のぼりが旗めいていたのを見たような。
少なくなったようにも思う四季のあり様を、繰り返しているように思えて、ふと安心する。
最近気に入っていたプーアル茶も切らしたまま、GWは自粛というか籠もっていたので。
引き出しの奥を探して賞味期限切れの緑茶を発見し。
(もっと早く飲むのが作り手の希望でしたね…と面目無い想いに駆られつつ)
久し振りに緑茶を飲んでほっこりしています。
そういえば、最近、横浜流星さんと藤野議員と川口春奈さんが出てくる夢を見ました。
その後に、昨日の放送”夢に出てくるんだよね”っての(EPISODE:03)を見たんですが。
これ、どう受け取ったらいいんでしょうね?
あ、横浜さんの役名が”藤野”か。
そゆこと?
ウィシュマさんのことといい、入管での死亡事件など対応の問題をずっと国会質疑で取り上げてくれていたから。
期待してるのかなあ。
断片的な夢だったので、ドラマみたいに皆さんが絡むわけでもなく。
車の前の席から振り返って話をしてたり。
エレベーターで上階に上がって次のフロアに行くとこだったり。
服屋で最新ニットをお勧めしてたり。
夢が何を告げているのか分かりませんが。
慣れない条文を読んで、疲れたのかな。
だな。
川口春奈さん、可愛いですよね。
(話飛び過ぎ)
すごい表情豊かに、セリフの表現も豊かになりましたよね
(人って短期間にこんな成長するんだぁ…)
とか、普段あまり俳優さんを意識することない私がうっかりそう思ってしまうのでした。
毎日新聞と東京新聞が中心に、名古屋入管で起きたことの真相解明の手がかりを報じている印象ですが。
あと、私の目に留まる範囲でだと、yahoo!の志葉玲さんの記事。
(毎日だと和田浩明さんと上東麻子さんの名前をよく見るかな)
(東京だと望月衣塑子さんと、木原育子さん?)
(↑これ書いた後に、改正案(改悪案)について採決を阻止しようとする野党の動きと、入管庁の中間報告で隠蔽されようとしていた医師の診断について触れた朝日の記事を見ました)
あ、そだ毎日新聞は入管法改正問題で取材班を結成したという発信を見ました。
公的機関で、税金を使って運用している国の施設で、命に関わる病状だった方が詐病を疑われ、点滴など適切な医療を受けれず、亡くなってしまったのですもんね…
しかも、池田議員が指摘しているように、亡くなる当日の朝、ずっと外から声かけをして”反応はなかった”と記録しながら。
入室して確認したのは昼過ぎ。
脈拍等がエラーで測れなかった朝の時点でなぜ救急要請しなかったのかなど、繰り返されている入管の闇。
最近になって多くの人が発信してくれていることで、私も収容されている方や仮放免されている方の事情を僅かだけれど知る機会を持てたけれど。
ウィシュマさんのように、経済的理由で学校に通えなくなりビザを失ってしまった人。
セクハラやパワハラ被害を申告したら、ビザ更新の間際で雇用を切られ、そのままビザを失ってしまった人。
もともと日本で生まれ育ち日本語しか話せないが、ご両親が在留資格を得ていないために資格を持てずにいる人。
迫害から逃れて日本に来たが、迫害の事実を認められずに、生きるためには国には帰れない人。
色々な事情を持った方がいるのだと。
ウィシュマさんの生前の様子を(好きだった食べ物など)語ったご遺族が、その時だけとても華やかな表情をされて。
彼女の存在が灯していた明るい空気や、その振る舞いをご家族が誇りを持っていたことを想像すると。
そして、仲間のために改正案に反対して抗議をする当事者の方の姿を見ると。
単純な想像で”治安が悪くなる”として人を疑い敵視する感覚で、この尊い感覚を持った方々を追い出そうとすることが、正当と言えるのだろうかと問いたくなる。
それと、国会質疑でも指摘され追及されていたことに。
入管は、精神科医師の、”仮釈放(仮放免)してあげれば、(体調が)良くなることが期待できる”という診療情報提供書(3/4付)の記述内容でいう結論を中間報告資料に記さず。
“仮放免したいとの思いが(苦痛に)作用する”といったような、支援者が収容者の苦痛をもたらしたという印象を与える記述をしたことの深刻さ。
この対応をする入管庁が全ての裁量を握っている改正案。
支援者等も監視対象や刑罰の対象となるような、支援の構造を壊すような内容を組み込んだ改正案(改悪案)を、止めることができるのか。
GW明けにも衆議院で採決されてしまうのではないかとされている入管法改正案。
(↑懸念されていた5/7の採決はなくなりましたが、予断を許さない状況といわれています)
本当にそれでいいのか? 心に何も引っかからないのか?
自分たちが何に加担してるのか?
気付いて声を上げる人が増えることを願う。
つづきはまた。