20210422_日記、裁判傍聴、入管法

(日記のつづきを書くか先にあちらを書くか。日記か...)

(ある方のお話を思い出して泣いてしまいマスクの下で鼻水が垂れている...)

(汚くてすみません)

 

Twitterで目にしてblog読ませていただいて、気にしてはいたけれど、さほど行動が取れていなかった。

昨日初めて、ダヌカさんの裁判傍聴に行ってきました。

 

最近になって、少しだけ裁判傍聴というものを経験してきた私ですが。

あんなの初めて見ましたよ。

びっくりしました。

裁判長が入廷するや否や、判決を読み上げて終了。口頭弁論再開の申立ては棄却されました。

 

判決を不服としての控訴を、審査する機会も持たせずに終わらせようとする。

 

審理を求めて審査をするのが裁判だと思っていたのですが。

違うのですか。

 

ダヌカさんはその名でパスポートを持ち、免許書も取得して生活をしているのに。

入管がそれを認めず、別の人だとして扱いをつづけ、出国も合法的在留もできないという状況とは何なのでしょう?

 

[支援する会-blog https://dhanuka2019.exblog.jp/amp/29488258/?__twitter_impression=true ]

↑ これまでの経緯など詳細が紹介されています。



 

(以下は私の勝手な感想)

2010年11~12月の、その山本という人物が警察に通報しダヌカさんを拘束させたということは。

警察と山本という人物は接触があったということでは? (電話連絡など含め)(それとも公衆電話からの通報?)

人物特定できる可能性を持ちながら、捜査はしなかったのだろうか?

それとも、その山本という人物の一方的な主張を聞き受けるだけの確信的な根拠を警察は持っていたの?

(まさか偏見? 人種差別?)

 

※ 2010年の来日の際は、真正パスポートで来日。

↑ え、違法じゃなくない?

(ビザの関係? でもビジネスで入国したのでしょ?)

 

そしてまた警察→入管という流れ。 (警察組織の中でスリランカに対する何か偏見でもあるの?)

 

そころで。16歳のときの来日の際にブローカーが未成年だからとして別名のパスポートの使用を促したということを、本人が、あれは偽名であった、自分の名はダヌカですと説明していることに対して、入管がその名前の方が偽名なのだという目的って何?

↑あ、不法滞在だと言いたいのかしら。なんで。

 

早く帰国したければチャンミだと名乗れとした入管は、しかし帰国させる約束を破り警察へ引き渡し…

(ダヌカさん本名のパスポートを偽造と判断したということか…?)

懲役2年の判決で横浜刑務所へ。。。

(この受刑中などに本名を使うことを禁止したのはどういうことなのだろう)

↑ここで音信不通になってしまったことで、スリランカ政府が資金持ち逃げとみなし、元大臣からの迫害対象になってしまったと。

 

懲役を終えて入管へ収容され… 本名での扱いを求め裁判を起こすも敗訴。一時仮放免の機会を得るも、再収容。

入管は別人名で扱うことに徹し、スリランカ大使館からの手紙もダヌカさんに渡さず。

(人権侵害)

(大使館からの連絡はどのようなものだったのでしょう)

な…

 

棄却されてしまったけれど、代理人弁護士さんが起こした国に対しての訴訟。

「ダヌカさんが被った被害への補償(国家賠償)」、本当に必要ですよね。

 

今、国会でも追及がなされている、スリランカ女性ウィシュマさんが亡くなってしまった事件についても、確認するほど疑問と恐怖が渦巻く入管の対応に気が滅入りそうになりますけど。

 

ダヌカさんや支援者の方が話してくれたのは、これは氷山の一角だと。

ダヌカさんが体調不良になってから、生きることができたのは、支援者や弁護士の助け、外からの対応改善を求める声があったからだと。

 

不当な扱いをされつづけて、ただ健康を守り生きることを、こんなに謙虚にいなくてはいけない人生とは、と思うと同時に。それでも自身の未来を諦めず、不条理と向き合いつづける意志を、私は、尊敬する。


 

昨日の入管法改悪反対の弁護士有志のデモでの挨拶で、児玉先生が仰っていたけれど。

厳しくても正しいことは続けていれば最後は勝つのだという旨の言葉を示してくれたけど。

 

そう、思いながら。

ただ自分に関しては、今も誰も理解する者もなく、どんなに尊敬する記者や弁護士も、私のことは疑うものだという認識でいる。

その分、他者を完全に崇拝することなくて、良いことなのかもしれないけれど。

 

それでも、入管法改正案の阻止や、入管施設の収容者への対応や申請審議の改善、日本社会の不法残留者への認識が改善されることは、叶うのだと思っている。

 

シットインの場でのスピーチを聞いていても思うが。

話すうちに普段抱えている想いが堪えきれず涙となり溢れ出る方の姿を声を見て聞いていて、ここに確かに、尊い感情と強い意志があるのだと気付く。

 

私たちは、この問題を解決へ動かすことができる。

理不尽な扱いを受けながらも、仲間のために声を上げる当事者がいる。

人には心があり、意志がある。

 

環境に揉まれ倫理感を擦り減らしてしまった人がいるかもしれない。

それでも、踏み止まり、正義に従い動くときの熱が灯る感覚を人は知っている。

 

私も、あなたも、できることがある。


 

(たまに休ませていただきますが…)

 

いま審議されている入管法改正案を廃案に、そして国際基準に沿った代案で、守るべき人権を尊重する社会となるように。