どうしたらこのことが多くの人に届くのだろう。
多くの支援団体や賛同して取り組む有志の方々、国会議員やジャーナリストが発信して、徐々に問題の深刻さが伝わりつつあるけれど。
どうやったら、普段政治を語らない人たちに、解っているけど自分には何もできないと思っている人たちに、届けられるのだろう。
振り返って、私に、このことを気付かせてくれたのは、誰だったろうか…
最近で言えば、新宿での緊急街頭アピール。
FREEUSHIKUさんが仮放免中や支援者と共にメッセージを発信していてくれたこと。
その前を思い出すと、山本太郎氏など政治家等のSNSでの投稿。
そして、先日のzoomでの勉強会で支援者である周香織さんのお話を聞いて、思い出したことがある。
前の投稿でも触れましたが。
2004年に国連大学前で座り込みをしていた難民申請中だった方々のこと。
私は当時、自分の生活の立て直しで精一杯で、手放したつもりの制作を、別の形でもう一度向き直そうと動いていたときだった。
テレビを見ることもやめていた時期もあり。日本で起きている多くのことを知らずにいた。
たぶん、その報道があってから1,2年後くらいに、イラスト関係でのイベントで国連大学のスペースをお借りすることがあって。
私はお手伝いをする立場だったのだけど。
先輩方の会話の中で”前に報道あったと思うけど何だったの?” “よく解ってないんだよね” という座り込みについてが話題にされて。
先輩の一人が「あー、あれなんだけど」と説明を始めて、詳しくは覚えていないけれど、それがともて批判的というか嫌悪の感情が滲んでいて。
その時、たまたま近くにいた知らない女性が、その会話を聞いて、「それは違います!」と声を掛けてきて、懸命に説明をしようとした。
認識の違いに驚いてとても怒っているようで、必死に訴えてくれていたのだけれど。
先輩は”あーやばい人きたね”といった様子であしらいながら、その人を笑って相手にしなかった。
他の先輩に対して”あの人の言ってることは〜”と説明を上塗りしていた。
お世話になった先輩だったけれど、その様子に違和感を持ったことと。
怒っていた女性が、悔しさに目を滲ませながら、必死に説明しようとしてくれて、その姿が印象的で。
だから、カバンから持ち出して渡そうと差し出してくれたチラシを、受け取った。
それからしばらくチラシを棚に置いていたけれど。
当時私は理由があって、インターネットの使用を避けていて。そのために検索にも不慣れで。
後日、難民についてを検索してみたけれど、両極端な内容の記事やブログが出てきて。
考えるベースがない私はそのとき、自分はどう捉えるかの判断がつかずに、受け止めることや考えることを保留してしまった。
そして、日々に追われる中でそのことを徐々に忘れてしまった。
長い間、解らないからと保留して、権利を奪われている方々のSOSに気付かず、その方々を苦しめる社会の一員になってしまった。
今になって、私がこのことを知ろうと、考えようと思えたのは、あのときあの女性が私に刻んでくれた、想いだったのではないだろうか。
あの人は、誰だったのだろう。
あの女性が届けてくれたようにとまではいかないかも知れないけれど。
一人でも多くの方が、気に留めて考えて、動いてくれるように。
私からも、言葉にして残そうと思います。
賛同できる方はぜひ署名を。
[入管法を改悪しないでください! “Open the Gate for All” ―移民・難民の排除ではなく共生を
[日本で生きる!移民・難民とその家族に日本で暮らすための在留資格を認めてください!
※本日4/18〆切の署名があるので注意
(次の投稿へつづく)