たぶん檸檬の枝です。
(たぶん、たしか、あれ...)
二つ先の投稿で触れた、ミャンマーの非常事態に、関係性のあることを。
つい先ほど、ポリタスTVでこの問題を取り上げてくれていましたね。
入管(出入国管理局)と入管法改正案について。
自分がこんなに頻繁に参議院会館に出向くとは思ってもみませんでした。
先日、入管法改正案について、議員懇談会があり、スクールの後に出向いて、拝見させていただいてきました。
少し前にInstagramでも一部をまとめましたが。
懇談会という場で入管の説明を受け(議員等からの質問に対する)、改正案や入管の捉えについて、問題性を確認することとなりました。
多くの問題点のある改正案ですが、今回の投稿では以下の内容に絞り、まとめます。
改正案に盛り込まれている、『送還停止効の例外』問題について。
※ノン・ルフールマン原則に違反の可能性
(国連の難民認定基準の手引きにも、「生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない」とあります)
難民申請が二度認められなかった場合、三回目の申請中に強制送還を可能としてしまう特例を盛り込んでしまったものですが。
議員からの質問に、新制度とするならば、旧制度のもとで難民申請したが認定されなかった場合、そのカウントは持ち込まれるべきではないと思うが、カウントに含むか含まないのか? というものがありました。
これに対し入管は、カウントに含む旨を説明していたいましたが。
現行法案のもとでこれまで日本は個別の事由にこだわり、帰国してしまえば迫害の襲えれがあると主張する者を、難民として認めてこなかった。改正案としての新制度で、より事情に配慮して検討するとするならば、基準が違うのだからこれまで否とされたカウントは取り消し、新たにカウントするのが妥当ではないのか? という指摘がありました。
しかし入管側は、これまでの審査は正しいとの主張のもと、カウントは継続される旨を説明しました。
(こうしたことについて、審議を詰めてない印象がありました)
そもそも、なぜ日本ではクルドやスリランカの方が難民として認められてこなかったのでしょうか。
入管説明を聞きながら、懇談会でも執拗に繰り返された「個別の事由」というところに、問題の要因を見たように思います。
多くの方が今、ミャンマー情勢を深刻に受け止め、ミャンマーに住む方々が危険な状態に追いやられてしまっていることを認識していると思いますが。
今、ミャンマーへ帰国することを想定した場合、誰でも、その方が軍による殺戮の被害に遭う危険性を想像することが出来ますよね。
(治安部隊と称される集団が、通行人を突然銃殺し、死体遺棄したなどが報告されています)
しかし、日本ではここに、個別の事由による判断が必要だと言っています。
その方が帰国した場合に身に危険が生じる理由を、資料を集めるなどして個々に立証しないと、難民として認め保護することをせず、送還する可能性があるというのです。
そしてその審査を、司法審査などでなく、引き続き入管が行うとしているのです。
(ミャンマーの難民申請者は比較的認められる傾向にあるようですが)
ミャンマー出身者の難民認定が近年極端に減少しているそうです。
(2010年以降の5年間で1/3以下となり、後2016~2018年の2年間では1人しか認定されず)
今の事態を把握しながら、申請した個人個人の身の危険性を、入管が個別に審査して、難民と認めない可能性があると言っているのです。
そして、改善とうたわれる内容として「補完的保護」「管理措置」などが言われていますが。
(管理措置の抱える問題はかなり前にまとめましたが)
仮放免とは違い、補完的保護は働くことができると確認されました。
しかし、それならばなぜ、難民認定としないのか? と議員から質問がありました。
(そうなんですよ何故?)
入管の回答としては、難民認定基準の外の人道的等の何らかの理由で認めるもので、難民と区別する必要があると。
私はこれを理解できず、気味の悪さを感じました。
なぜ区別が必要なのか? 規則にこだわり固縮して、人を判別しようとする考えの恐さを思いました。
この違和感と疑問について、また難民認定について、後日の記者会見や資料にて、考えるところがあったので、後でまとめます。
改めて、入管という組織や法務省、政府の考え方の異様さを認識することとなりました。
重くてすみません。
本当に深刻な事態なので、引き続きまとめます。