202103_ 振り返り日記、シナモンロール、肉じゃが、裁判傍聴、追悼碑

シナモンロールを食べるとかもめ食堂を思い出し、かもめ食堂を観ると肉じゃがを食べたくなる、の繰り返しを、一定の期間をおいて楽しんでいます。

でもセルヴェトゥーロワって検索で出てこないのです。何語ですか。

 

あ…  本題から逸れました。

こないだ、初めて裁判傍聴の抽選を体験しましたよ。当たったの。
漠然とした把握で、群馬の森追悼碑に関する裁判を傍聴して来ました。

漠然とした認識である私が、傍聴して受け取ったもの、ザックリで申し訳ないですが経緯をまとめたものと、感想を書きます。
長くなります、ごめんなさい。

📝
追悼碑は、市民団体が県の認可のもと公園に設置した(戦時中に動員され亡くなった朝鮮人労働者を追悼する)もの。
県が、政治的行為を行わないという設置許可条件に抵触したなどを理由として、許可更新のタイミングで追悼碑の設置を認めず。

これに抗議し、市民団体が不許可処分の取り消しを求めて裁判を起こし、前橋地裁は、県の判断は “裁量権を逸脱した違法なもの” だとし、処分の取り消しを命じた。
(2018/2/14毎日新聞の記事

この控訴審が、先日東京高裁で行われた裁判。

県が設置条件に抵触するとした内容は、長年開催してきた追悼碑前での式典のうち、近年に数えて3回、主催側でなく来客が挨拶で「強制連行」という言葉を用いたことを、政治的行為に該当するとしたもの。

しかし、式典の趣旨は亡くなられた方への哀悼の意を示したもので。碑の文言『記憶 反省 そして友好』の通り平和と共存を願うものであり、公園の効用を全うする機能の喪失にはあたらないとした一審の判決を確かなものとして、県の追悼碑設置不許可の判断は違法であると、あらためて市民団体(弁護人)が主張を述べました。

追悼碑の文言を変更して…という代案もあるようですが、これについても、歴史を修正してしまうことにあたり、受け入れられないと主張がありました。

傍聴して私が持った感想としては。
追悼碑不設置処分をした県の対応は、追悼碑を特定の国や宗教的な特徴をもつものだとして街宣(ヘイトスピーチ)などを行う団体への対応や、そうした攻撃の的とされることを懸念し恐れ、市民団体の追悼碑の監理能力などを理由として持ち出し、追悼碑を撤去するという選択してしまったというものかと。

県の職員の方々の対応負担というところが心配でもありますが。
歴史修正主義の主張に屈する形で、『記憶 反省 そして友好』という平和を願う追悼碑を公園という憩いの場から撤去してしまうことは、愚かなことでは、、、と思います。
市民団体や県の職員だけに負担が向かないように、地域全体で平和を願う意志のもと、追悼碑の持つ意義を見つめ直して、碑を守る方向へ向いて欲しいと願います。

「多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」という言葉をぼかしたり、削除してしまっては、本当の反省や平和への意志など持つことはできないのだろうと思います。


傍聴後に、市民団体側の説明会でお話を聞いてきたのですが。
そこで、ジャーナリストの方が挨拶を求められ、話されていました。
全国各地でこのような歴史的な追悼碑等が撤去され歴史修正がなされてしまっている現実がある。このままでは日本社会は戦争の反省を忘れ、過ちを繰り返してしまうだろう、だからこの波に抵抗しなくてはならない、屈するわけにはいかないのだ、と。

(なんか、最近の日本の感じ本当気持ち悪くて、具合悪くなりそう…
職場とか学校とか諸々で、あるやつですよね。
色々なハラスメントや嫌がらせで踏み付けておいて、”そのような事実は無かった” とか ”誤解を生んでしまった” とか言いながら言葉を濁して無かったことにして ”互いを大事に人権を守る取り組みに力をいれます” とか言われても、いやいや誤魔化してる時点で反省してないですよね、ていう。反省する気ないってことはまたやるよね? っていう…)

日本て、数々の歴史を経て、多くの国々と関わって多くの国籍の方と共存して、知識や技術を受け取って、今の社会があるのでしょう?
戦争という大きな過ちの中で、特定の国の方々の命を軽視し、苦しませ命を奪ってしまった歴史があるということを真摯に刻んで、反省し友好のもとで明日の平和を願うという追悼碑を、撤去するという判断をしてしまうのって、恐いですよ。


反対派の圧や攻撃を受けたくないから、象徴としての追悼碑を理由をつけて撤去してしまいましょう、というのが県の判断だったのだろうかと想像してしまいますけど。
それ、解決にならないですよね。
攻撃的な主張に屈して都度対象とされた物や意見を取り消してしまえば、声の強かった者の意のままの社会になるだけですよね。

 

 

社会の、日本全体に言えるこの“事なかれ主義”が、どんな事態を招いていくのかを、少なからず私たちは知っているはずです。
公正な判断がなされることと、問題の核心を多くの方が共有することを願います。


モヤっとしますが、心の栄養も見付けて整えながら、考えていきましょう。

 


振り返り日記というか、ここ数日の記録まとめてごった煮で書いてる感じですみません。
つづきは次の投稿へ。