少し日が空いてしまいましたね。
もう少し休みたかったところなのですが、書かずにいられないのね。
(しかし書いているうちに日を跨いでしまったな)
連休は、このところ別の方向に使っていた思考を切り替えてなんとかデザイン方面にスイッチすることに成功し…いや、うまく切り替えられなく没案をいっぱい出し。イメージを慣らそうと一旦休止して雑なフォトコラージュと合成をしたのでした。
(Photoshop使うのなんだか久し振り)
最近読みたい本が増えて、新たに数冊getして読み始めたのです。
それでも思うのです。最初に読んだ文学書が、あの書籍でとてもラッキーだったと。
情報が情報のまま整然と並んでいて、受け渡すときに発信側の熱が宿って生ぬるくなることがなく。それでいて、冷静な分析が、人の精神というとても穏やかで温かい倫理を軸に語られていること。
「ずっと少しずつ読まれる本になって欲しい」という著者の言葉に、社会と社会を生きる人への穏やかな配慮と心配が見える。
本を開く度に一から学び直す心構えで冷静で在れるように。ページから慎重に言葉を受け取りたい。
この書籍の著者である学者を、内閣は二度も任命拒否していたのだと知って、学者の能力や功績でない何か別の理由で、任命拒否されたのだと確信しています。
まずは今の法違反を正すべく、任命拒否を撤回するのが先だと考えています。
他にも、CM規制についてが別途自由討論などという提案で、改憲案(基本的人権を制約し、戦争参加の引金ともなり得る9条改正の)に向けた法案準備が、充分な議論なくして採決しようと企てられたり。
農家から栽培後に種を収穫してより良い品種を育てる機会を奪い、種や農薬に多額の費用がかかることで営みを困難にさせる懸念のある種苗法改正案が強行を図られていて。
開催前日に知って赴いた学習会で講師をなさっていた森裕之氏、ありがとうございました。
私は本当に数字が苦手で… グラフにまとめて明解に示していただいたことも。私のアンニュイな質問にも、道を照らす形で応えていただいたことも、感謝します。
お忙しい中に講師を担当してくださったのに、暗い質問になってしまってごめんなさい。
狛江市住民でどのくらいの方がご存知なのでしょう。図書館改修についてです。
私自身が、聞きかじる程度にしかこの件を認識していなかったのですが。
先日のある市議の投稿をきっかけに、なんかやばいぞ感を察しまして。
まずは知ってみようと思い、市民の会の会議と、別の学習会に出向いてきました。
正直、聞きかじってる段階での私の認識は、長く取り組んでる市民団体の主張と市の考えが合わずに、何やら揉めている? という印象でした。
それが、ここ数日で立て続けに、市民活動を批判する市議の投稿が見えたり、市の広報で図書館改修の決定のような告知が出たり、市の発表に対しての市民の抗議投稿が見たので、妙だなと思ったのでした。
「こんな状況で私たちの街では30億円以上かけても公民館・図書館を増築しろとの市民運動が活発化。費用かけられないという行政に対して」という市議の投稿。
(貧困が進み危機にあるという記事を引用RTしての投稿だったと記憶しています)
市の広報は、「改修します」という見出しと大きく掲載したイラストで、市民センターと図書館と商工会が玉突きで移転しての改修案を決定事項と認識する表現でした。
それでも、よくよくみると、小さく「※イラストはイメージであり」とか「今後ワークショップなどで利用者をはじめとしたさまざまな方の意見を伺いながら検討を」とあります。
これまで聞きかじっていた様子と違うな、という感覚がありました。
言葉のままに読むと、財政を盾にして市民活動を批判していると受け取れます。
市議本人に確認したところ、財政が不安な状況で30億円以上を改修にあてることへの疑問と、当件を多面的に考えて議論を深めたいという思いがありながら、言葉の選択が不器用であったという話でした。
ということで。スクール終わりにまず出向いたのが、市民センターを考える市民の会の世話人会。
そこには、私と同じく初参加にて、私と違って数字(市の財政)を独自でまとめて表にしていらした方も。
その方がまず、コロナ感染症という異例の事態に今後懸念される不況の深刻性を訴え、今そんなに市税を使っている場合ではないだろう? と強く意見されました。
その意見に対し、市民の会は、“意見として大切”で、この事態に見直す検討が成されても良いのではという返答がありました。
これまで提案してきた市民の会の案も、それ以外も、多様な意見を広く聞いて議論したいのだといいう説明がありました。
そして、確かにこの100年に一度という事態と、今後情勢がどうなるか不明な今に、一度立ち止まって考えることも必要だという意見も出ていました。
“改修を急ぐ必要のある水回りだけ先に修繕する”というケースも考えられることは、以前に市と合意を済ませていると。
やはり、“無理にでも会が考えた案を実現せよ”というような強硬性はなく。更には、状況によって急を要する修繕箇所を先に改修することにも以前に同意していたとは。
なぜ、こうして柔軟であろうとする考えを持ち、それを示している会が、「30億円かけても」「増築しろ」と強いている、という認識での批判がなされてしまったのでしょう?
色々な意見が交わされる中、新たに知ることになった事柄が多々ありました。
☞ 広報が出される直前の、10月27日に市民の会は本件で市長と面談をしていたとのこと。
会の方の説明によると、市民の会は9月に行われた説明会の内容に対して、市の案では図書館が分散することや面積も十分でないことなどを述べ、基本方針変更を要望したが、市長からのこれに対しての返答はなかったと。
市長からは図書館の必要性や在り方の変化についての理念的な意見のみがあり、広報に発表された施設の玉突き移転改修案については、一切の説明が無かったということ。
☞ 広報掲載の施設の玉突き移転改修案は、9月の市民説明会で示した案とも異なるということ。
過去、公に検討も説明もされていない案が、市民の会との面談時にも説明もないままに、面談直後の広報市で決定と認識され得る表現で発表されたと。
(広報入稿〆は月の中旬らしいので、面談時には当然掲載内容は確定していた)
☞ 2月に実施されたアンケートは、市が行ったもので、市民の会はアンケート内容に意見を寄せたのみ。アンケートは、無作為で選出した2500人を対象として、827名の回答を得たもの。
(回答年齢層に偏りがあるが実際の人口と比較して年齢層は大きく外れていない)
このアンケートには、今回広報で発表された案は、選択肢に存在しなかったと。
☞ 更に、玉突き状態で移転となる広報掲載の新案は、公民館長にも説明がなかったと。
現場の職員に説明もなく、つまり新案について意見を聞くこともなく、突然に広報誌で発表したということ。
(当然ですよね、条例がなかったとしても行政の在り方として問題です)
☞ それから、広報が発行された翌日の2日、ある市議(与党議員)が広報誌の内容と同じような内容のチラシを駅頭で配布していたと聞きました。
(確認してみると、広報掲載のイラストを使用したオリジナルチラシ画像をSNSで投稿してますね)
世話人会にお邪魔させていただいた翌日の21日、駅近の会館であった学習会に出向いて確認させていただいた内容をメモります。
これは、先日の市議の投稿もですが、近日に急に浮上した財政難が話題にされる点について、実態はどうなのか? というところに着目して、財政を知ろうという勉強会でした。
講師の森裕之氏、楽しい方ですね。そして質問への回答が優しい。
狛江市の歳入や歳出(目的別や性質別)など幾つかの数字がグラフ化され、確認しやすくまとめていただいての学習会でした。
(遅刻参加したうえにメモの取り方が下手で、内容が間違っていたらごめんなさい)
図書館を改修する場合に充てられるのは市税と地方交付税というものだそうですね(あと市債)。
市が全額負担でなく、文化施設ということで国からの補助金が50%。
市民が住宅を購入する際のように、頭金を支払い、後々借金を返していく方法をとるのが通例とのこと。一回で全額支払うのではないのですね。
(余談ですが、文部科学省=旧文科省と旧科学技術庁が2001年に統合された省なんですね)
狛江市は民生費として福祉に充てられる税金が多く、それが近年でより増加傾向にあると。これは福祉の充実に向けた動きや、産業地帯でなく住宅地帯であることにも理由があるようです。
地方債残高は、人口等類似都市と比較をしても低く、10年ほどかけて返済してきた結果、市債はかなり減少したと確認ができます。
(市の人口が徐々に増えていく中、緩やかに人件費が削られていることに不安を覚えますが)
(改修にともない図書館の充実を求めるとは自然なことなのでしょう)
財政数字だけ見れば、施設の改修改築を計画してなんら問題のないものだと確認されました。
更なる感染の拡大や医療崩壊が懸念されますし、多くの事業が経営困難になることも予想されます。負の循環に対して決意をもって取り組まれることがなければ、予想を超える不況の波がきてしまうかもしれません。
そうした状況を踏まえて、一旦は全ての改修案を差し戻して検討するくらいに、慎重である必要もあるのでは、というのも大事な意見です。市民の会でも学習会でもそうした意見が出ていました。
突然の説明なき決定のような広報発表を受けて、その不誠実さに抗議した市民の会が、なぜその市民活動が財政に負担をかけているような批判を受けたのか?
そしてなぜ、市が自ら行ったアンケート結果が改修案に反映されなかったのか?
反映されないやむを得ない事情があるとするならば、なぜその理由について一切の説明がないままなのか?
それと、この件について確認していく中で、個人的にものすごく残念なインパクトを受けた事柄があります。
民主派の看板を掲げている市議が、「市民参加という市民の声=市民の声の全て、ではないと想定する必要があります」「声を上げようと意志をもったものは英雄なのでしょうか?」と言葉にしています。
市に住まう者の生き方は多様で、仕事に追われ市政に目を向ける余裕のない方もいるでしょう。個々に意思を持ちながら、あえて市民活動に参加という形を取らずにいる人もいるでしょう。
確かに私自身、数年前はバイトを掛け持ちして連日働き、2,3時間睡眠で過ごしていた際には、市政のことを考える余裕もなく、他者のことを考えるのには限界を感じていた。
これまでのアンケート調査の在り方では、市民全体の声を掬えていないというのなら、そうかもしれない。
だとしたら、周知を徹底してアンケートを再度行うことも可能でしょう。
それを行わずにいながら、なぜ市民活動の声は全体の声ではないと、撥ね退けてしまうのか。
ただし、市民の集まりであるその声は、アンケートで掬えなかった一部の声が託されたものである可能性も持つ。
この、形として見えている市民の声を、否定的に捉えるというか、敵視する理由はなんなのだろう?
参加させていただいた会議の場で市民の会の方々は、まず新案がどのように決定されたのかを確認する必要があると、解決に向けて建設的な手段を検討されていました。
その多様な意見を取り入れて議論をしたいという会の主張を知り得たとして、市政はどのように対応していくのでしょうか。
(市民活動に批判的な投稿をしていた市議が該当の投稿を削除したように、認識を改める機会はあったのだと考えるとすれば、今後の対応にも注目すべきでしょう)
ただ、個人的に言えば、この件は改修内容がどうなっていくかだけでなく、市政に大きな影を落とした事案であると思っています。
これまでに確認した時系列で考えると、市は意図的に市民の会には知らせずに、アンケートの選択肢にも説明会にも存在しなかった案を、決定事項と認識する形で広く周知したということです。
(“与党議員は事前に知り得たようだ”という話がありましたが、オリジナルチラシ作成の猶予が存在したことからも、広報での発表前に認知していたと考えられるでしょう)
どのようなメンバーでどういった場でこの意思決定がなされたのか不明ですが。一部与党議員だけが認知していたということは、非常に内々でこの決定がなされてしまったということ。
批判的な意見での精査を重ねて、物事(税金の使用先)を議論し合意決定する政治という場の市政で、議論を放棄したということです。
少数派が被害にあうとされる差別や人権侵害の問題に関して、市は、人権尊重の啓発を進めるという条例を決定しながら。
ある市議が決算特別委員会で、アンケート結果では『平和・人権』についての市民の関心は低いために取り組む必要性も低い、という印象の意見をしている。
その一方で、図書館改修についてのアンケート結果は軽視されてしまっている。
アンケートが形だけのものであり、都合良く利用されてしまっている。既に恣意的に市政が行われてしまっていると考えられるでしょう。
と、こうしてある日あるとき、市政について確認したり意見したりしていると…
あなたの思考の傾向はどこどこの党寄りだから、どの本を読めとコメントが来たり。
どこどこの党はこういう問題があるぞという悪評が一方的に送られてきたり。
生活困窮者の怒りを利用するような表現の無責任性を指摘したら、「政治的な視点」それでは「現実と真実が見えなくなる」という批判が来たり。
あの市議とその市議とは絶交するのがよいと指図するメッセージが来たり。
でも面倒臭がっていると、政治を軽んじる、決定のプロセスを軽んじる人たちの、都合のままの社会を生きることになってしまうので。
スケジュールであまり無理のない範囲で足を運んで、とりあえずこうして日記を書きます。
自らの生活に関わることに、政治が財政を盾に強行的に事案の決定を進めようとした際には、少ずつでも学んで知識を付けて、意見をし、周知に取り組むこと。
市民が学ぶことで、独裁的な決定を跳ね返した事例を伺いました。
日記冒頭で触れたように、学者の丁寧な推考と誠実な熱の示し方に感動したように。
歴史に学ぶということの重要性や、その喜びを知ったばかりですし。
小説や絵本という物語を通じて、感情の広がりや希望が灯ること、それを叶える言葉の集合である本という形の存在意義を思ったりするので。
電子書籍という時代のニーズが優先されたとしても、時の経過をそのまま映し出す紙媒体の書籍というものを、重んじて欲しいという願いもある。
それでも、他者と関わり言葉を交わし、社会について自覚をもって考えることの必要性を、今になって思ったりする。
それが失われてしまった結果が、無関心や、独裁的な権力の暴挙に抵抗できない、傍観や沈黙という社会の脆弱性なのではと思ったりもする。
もともと、そういう集合への参加が苦手な私で、施設利用も少ないけれど。
公共の施設は、学ぶ場や、市政について考える機会として、改めて重要なのでは? と思う。
市に住まう皆さんは、今回の図書館改修につていの市の在り方を、どう感じているだろう?
審議はもう明日(11/27金)から始まるという話で、与野党の議席バランスでいえば、そのまま決定してしまうだろうとの話だった。
最終的な改修がどの形となるにせよ、その検討は市民の声を反映し、開かれた議論を経て決定されるものでなければ、民主主義でもなく政治という合意決定でもないだろう。