控えめにクリスマスデコレーションが其処彼処に。
乾いた空気にネオンが澄んで響く季節に、マスクから漏れた息に眼鏡が曇って視界不良な今日この頃。
思うところ多々ありますが。今も慎重に対策をつづけ医療や介護にあたる方々へ改めて敬意を。そして、国に政策を求められないか問いたいところです。
少し前の日記で触れていた書籍、そういえばタイトルも著者も紹介していませんでしたね。
思いがけない自分のリアクションに、なにか新鮮で嬉しい感覚を得たのです。
私は、ゆっくりのっそりほんのときどき、詩画集を制作してきたのですが。
他者に極端に影響を受けてしまうのは嫌だなと思うのと、実は恥ずかしながらも自分はあまり他者の詩に興味がないという理由で、“詩”という作品をほとんど読んできませんでした。
好んで読むのは小説で、それも乱暴な表現を嫌うので、言葉の使い方も含めて、一定の信頼を置ける著者の作品だけを読んできました。
なので、これまで文学書というものを読んだことは無かったかと思います。
まさか、社会文学を読んで、歴史と今と、それを語る学者の能力に胸が熱くなり、大泣きするなんて思いもしなかったのです。
皮肉なことに、いまだ解決されない日本学術会議の任命拒否事件を機会に、宇野重規氏のメッセージによるとても冷静な言論の自由と民主主義への評価を知り、興味を持ったのですが。
“民主主義”に、なんとなくの政治体制を表す意味と、漠然とした理念を表現するものとして、守るべきものと認識していながら、それをしっかりと掴むことはできていなかったので。
なにか手掛かりになるだろうか? という期待と、冷静な評価故の、自分の期待するところと別のゴールがもし書の中に用意されていたらと思う不安と、両方の思いで、この本を手に取ったのです。
民主主義が長い歴史の中でその言葉に充てられる内容を微妙に変化させながら、ある時代肯定的に、ある時代否定的に扱われて、それでも存在しつづけてきたことについて。
長い年月、それぞれに多くの人が社会を考え、個々の尊厳を考え、推考や分析を重ねて尽力してきた、人々の存在の証である歴史を。
幾つもの歴史を照らし合わせて、時代時代の研究者たちの主張を手掛かりにしながら、社会がどう動いてきたのかを見つめる。そして、その複雑な情報を受け取る旅路には、節々に著者の丁寧な道案内が添えられていて。
必要なことは、絶え間なく考えることなのだと、感じ取りながら。
傍観として権利を放棄しがちな日本で、未来への期待が薄れがちな昨今。
あまりの光の乏しさに、心もとなくなりながら、読み進めた書籍後半。
しかしながら、辿る文書は、民主主義の紆余曲折を見つめながらも、多くの問題に一つ一つ照らす言葉を与えながら、可能性を示唆している。
長く歴史を辿りながら、今この先に、その歴史がつづいていく様を示唆している。
どう歴史が動いていって、日本の社会がどこに向くのか、それは誰にも解らないとしても。
鮮やかに照らされた明日について、私たちは考え、学び、動いていけると、思えた結びでした。
そして、振り返る、不勉強過ぎたこれまでに漠然と民主主義に期待を寄せながら、それを否定する動きに慣らされてしまっていたことを知った、読み始め。
小説でも短編集でも、書籍は、自分好みにカバーは掛けるけれど、ページは汚さずにピシッと綺麗に保つことをなんとなく大切にしてきたけれど。
この書籍を読み進める途中から、何箇所もノンブルに折り目を付けていた。
覚えておきたい言葉がある。想いを馳せたい歴史がある。忘れてはならない過ちがある。
著者:宇野重規氏の、任命拒否においてのメッセージを確認する。
「民主的社会の最大の強みは、批判に開かれ、つねに自らを修正していく能力にあります。その能力がこれからも鍛えられ、発展していくことを確信しています」という言葉の、想いの深さと、信念を見る。
現行の法律に反して、任命拒否をした内閣が、いまもなおその罪を認めずに言い逃れ、更に日本学術会議を批判していることを、重く捉える。
そして、ここで学術会議人事に内閣が介入した事件の重さ、学術会議の功績を疑うような印象操作の悪質さを確認する。
何度もニュース記事で目にした、静岡県の性暴力被害が不起訴になった件。
家庭という閉ざされた世界の、圧倒的な権力構造の中で、未成年者を被害者に起きたことを、静岡地裁がどう判断したのか…
衆議院で、藤野議員が質疑において判決の非道さを確認していた。
児童相談所の職員に被害者が告白した際の様子が「毛布にくるまって顔面蒼白である」と認識されていながら。
「被害があるかのように振る舞った可能性を否定する事ができない」とし。
PTSDテスト数値が高いことに「被害を誇張して申告する事で容易に高い得点を得られるものであることは明らかであって」と、数値が示した告白の信憑性も否定し。
知的障害である被害者に、「架空の性被害を訴える程度の性的知識を獲得していた可能性は否定できない」という、よもや偏った想像力で被害者の申告や人格さえも否定したような判決を、地裁が下したという。
(中継を動画でまとめてくださっていたEMILさんありがとうございます)
※ 地裁判決に対しての異論は、私個人のもので質疑内容ではありません。
※ 藤野議員は当然この判決に疑問を抱き、言葉の冷酷さを指摘した上で、建設的に法改正へ向けて不起訴案件の分析がなされるよう求めています。
この静岡地裁での不起訴、福岡地裁、名古屋地裁、他にも性暴力被害が相次いで不起訴になっている。性犯罪の刑法改正が求められている。
これに関し、日本学術会議は、国際的基準に沿って同意のない性交の犯罪化を求める提言を出しているという。
その日本学術会議を、推薦人6名の任命拒否という違反を改めないままで、会議の在り方を精査すると内閣が言っていることについて。
先日の、毎日新聞の記事、下村自民党政調会長のインタビューで。
しかし、任命は推薦名簿で示された推薦人を形式的に任命するというもので、過去複数回の国会答弁記録で示されているように、選別する権利はない=任命拒否をする権利はないと確認された事項である。
軍事研究についても印象操作的に述べられていたが、この件でも既に学者が資金提供の構図からどうしても利用される形になる故に協力はできないとしたものであると説明済である。
種苗法についても、移動しながらところどころ確認した質疑の様子でも、不安が多く。
『民主主義を考える』(著:宇野重規氏) は、読み手それぞれに、何かしらの答えを灯すのだと思います。
学者の文章力と分析力、推考力に感動できる一冊を、お勧めして、明日への希望を信じようと思います。