『i-新聞記者』再上映。

雨降りを言い訳に、あとぜんぜん活動的じゃないのに体力落ちたようで、昨日は力尽きて床に落ちて寝てしまっていましたが。そしてそのままペースを乱して、床で二度寝しまして。(コラ)

少し洗濯したくらいで土曜の休日が去っていきました…

と、いうわけで、またしても振り返り日記としてライムラグ発生しての投稿で面目ないです。

 

 

昨日9日(金)は、午前中に四谷近辺で用事があったので、そのまま新宿で過ごしてピカデリーに向くことにしました。

(最初は11日(日)明日に行こうか迷っていたのですが)

 

 

森達也監督『i-新聞記者』の、シンポジウム+再上映を拝見して来ました。

 

 

映画自体は昨年拝見しているのですが、重要な情報や議論を発信しつづけているChoose Life Projectさん主催のシンポジウムが拝見できる機会で、しかも司会が津田さんということで、私のような学のない者にもキャッチしやすく情報を整理して届けていただける期待があって。久し振りに画面越しの世界でないライブイベントを楽しむ機会にワクワクとして向かいました。

シンポジウムは、政権の人事介入がいよいよ露骨に、重要な分野で行われてしまった日本学術会議への人事介入の件を主に、メディアコントロールについてなどなどを議題に話されました。

MC:ジャーナリスト 津田大介 氏

ゲスト:東京新聞 望月衣塑子 記者・参議院議員 蓮舫議員・朝日新聞編集委員 高橋純子 氏

 

お話を聞きながら、先日に、たまたま店の混雑を理由に駅から離れて歩いて、宮本三郎画家の絵や、多くの戦争画家についてまとめられた冊子を拝見する機会を得られて、良かったと感じていました。

(本当に、ご縁だったのだ)

 

政権に批判的な言論が制裁を受け、徐々に異を唱えることは悪であると認識が歪んでいってしまった戦前の世界。慣らされてしまい、一般論の基準や個人の判断軸さえも少しずつ変わってしまうこと。戦争の反省が込められ、二度と過ちを起こさぬようにと定められた憲法を、解釈変更として実質破壊してきた前政権・現政権の罪と。その重きに今、抗わなくてはいけないということ。

 

(戦前の幾多の事件については、先日の Choose Life Project (10/6) で石川教授が話されているとのことで、前半部分はまだ見れてないので、後で拝見したいと思います)

(“戦犯とされる覚悟をしていた” という画家の、絵に自身の技術や人生をつぎ込むこととなったその日々を、どう想像したらいいのだろう)(先日の日記)

 

 

学術会議の件は、最近の情報として、菅総理が105人の名簿を見ていないと発言したそうですが。“学術会議の推薦に基づき” 任命するということに反していて、違法である今回の任命拒否の、責任転嫁を始めたのだと捉えています。

 

森友問題で、土地売買の当時には所属していなかった職員に、改竄という犯罪行為を強いて、追及が一人に向くように人事操作をし、誠実に勤めてきた職員を自死に追いやった前政権のことを思い出します。

遺書が公開されてからも、国会で再調査の必要はないと冷酷に言い放った当時の官房長官が、今総理になったのだと、改めて思い返しています。

 

今回の件も、責任転嫁をさせてはならないと、考えています。

 

 

 

シンポジウムで、高橋さんがメッセージとして、メディアの中にも権力に抗いジャーナリストとしての信念を貫こうとしている者がいること、ただその立ち位置によって、抗い方が小さく見えてしまうこともあること、諦めず挑む者に目を向けて応援することで、変えていける景色もあると。

 

映画の中でも、望月記者が言っていた。会見の場では読売記者が積極的に追及していたが、掲載された記事は非常に小さく、社内での決定に記者は忸怩たる思いであっただろうと話していました。

 

私は、ひとまとめに「メディアは」「マスコミは」と括って批判をしてしまうことがあるけれど。それは、権力に抗い信念を貫こうと挑む方たちの存在を否定してしまっていたのだと思いました。申し訳ない。

 

 

私は、詩画集作成を活動主軸に置きたく、デザインやイラストなどの仕事を一旦控えようと営業を止め、準備期間として時給で働くことを積極的にしてきたここ数年。経験値を積むためとして低時給で働いたときもあり、生活が苦しく、新聞を取るなど不可能な時期が長かった。

コロナで生活が変わり、どう生活費を捻出するか難しい状況にある方も増えたと思う。

 

そうした状況ではあるけれど。ほんの少しでも、新聞購読や記事広告や、メッセージや投稿だけでも、必要な情報を発信する者へ、応援の意思表示をしていく必要があるのだと感じた。

 

蓮舫議員が話していたように、政権の悪行やその思考に慣らされてしまわぬように、それぞれの立場で、出来ることを行い、踏ん張る必要があるのだと確かめた。

 

記者として市民の声を拾い官邸に必要な質問をするという、記者として当然の行動をしただけで矢面に立つ形となった、望月記者が話した言葉に、会場から拍手が沸いた。

信念のある者が放つ言葉は、聞くものに熱を灯すことも確かめた。

 

正直、ミーハー的に津田さんを生で拝見したいという思いもあって、出向いたシンポジウム。向かうことができて、良かったと思った。

 

 

 

二度目に拝見することになった映画『i-新聞記者』。

 

同じ映画なのに、いまこの状況で拝見すると、伝わってくるものが違うように感じた。

あのタイミングで、見れて良かったのだとも思った。

 

主語が私であること。あのときは、正しいかどうか以前に、自分がどう思うのか、を判断の軸に置く必要があることを確かめた。(過去Instagram投稿)

政治や歴史について学びが乏しく、情報を精査することを難しく感じることを理由に、自分の判断や感情がどこにあるのかを掴むことも難しく感じたり、それを言葉にすることも難しかった。

今も、難しさは変わらないけれど、自分がどう思うのか、の答えは手元にある。

 

 

昔は、自分の見てきたもの、捉えてきた事実を、虚偽とされる経験が長く深くあったことにより、他者に説明することすら面倒になり怠ってしまうことが多くあったが。

黙ることで、歪められた事実が肯定されていってしまうこと、反論の意がないと捉えられてしまうこと、それが次の被害者を生むと気付き、私は発言することを始めていた。

 

自分を主語に、発言することを行ってきた日々は、気付けば自分自身に居場所を与えていた。

あのとき、『i-新聞記者』を見れて良かったと、改めて思いながら。

最初に見たときの感想を合わせて、何か新しい意味を持って、この映画の存在と記者の立ち姿が胸に響いた。

 

ありがとうございます。

 

 

 

日付替わって、今日(10/11(日))は、本編上映が15:00~/シンポジウム 17:10~ のようです。 

『i-新聞記者』 詳細ページ

MC:ジャーナリスト 津田大介 氏

ゲスト:古賀茂明 氏(元内閣審議官・経済官僚フォーラム4代表)・朝日新聞 南彰 記者・森達也 監督

 

(私は、チケット予約でQRコード取得→3FでQRコードを機器に翳してチケットに変換しました)

会場入り口で手指の消毒と検温がありました。

 

お時間ある方、健康に留意して、ぜひ。

(津田さんを司会に、このお三方のお話、聞いてみたいですよね)

 

 

 

この新しい種類の感動を得ながら、更に読み進めていた小説のラストを、このまま帰路で読み終えることとなりました。

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